庄 佩珍 「神国思想に関する研究―豊臣政権期まで―」
神国思想に関する先行研究が汗牛充棟の状態であるにもかかわらず、結局、神国思想は如何なる思想であるかという問題や、古代に現れ、中世に成立し、そして豊臣政権期に初めて政権の排他・侵略的行為に結びつき、排外・侵略的イデオロギーへと変貌するまでの神国思想の、全体像、展開過程及びその特質は依然として不明である。このような研究現状に基づき、本論は時間軸に沿い、古代から豊臣政権期に至るまでの神国思想の実態解明を試みた。
第一章の序論では、様々な内容を有するが故に、(1)政治思想(2)宗教思想(3)王権との関係(4)国土・国家観(5)対外思想・国際認識(6)肯定的自国意識(7)秀吉・家康の「神国」という七つの視点から行われ、複雑な様相を呈することとなった戦後の先行研究を整理した。それぞれの問題所在を明らかにした上で、本論の研究課題と研究方法を提示した。
第二章では、神国思想の勃興を蒙古襲来に求める傾向があるため、古代から蒙古襲来前までの、一定の広さと深さを以って日本国内に浸透した「神国」の実態及びその展開が明らかになっていないという、先行研究の問題点を提示した上で、現在確認できる「神国」に関する史料を時間軸に整理・分析し直すことにより、この間の神国思想の実態と複雑な展開を考察した。その結果、(1)「神孫為君・神明擁護の国」を意味する神国思想は、古代の王権が中国(唐)に対しある程度の距離を保ちたいという国家理念を内外に表明し、また外国からの来寇を防ぐために、「神」信仰を媒介とし創出した肯定的自国意識である。(2)その後王権問題などの国内的政治事件と対外問題が起こるたびに、「神国」が想起されることにより、政治性の強い神国思想は次第に支配層に広まり、定着した。この「神国」国家意識は対外契機の消滅や古代律令国家の崩壊に伴い、一旦表舞台から姿を消したが、中世への過渡期である後期摂関政治期に、道長による新たな王権構造の創出により再び姿を現し、発言者の主張を正当化する論理として利用された。その後は院に結実する新たな王権構造に基づき、各権門による中世的国家体制の出現の影響を受け、政治性を強めながら、より一層支配層に浸透していった。「神国」は蒙古襲来前まで、内容や特徴が異なるにもかかわらず、それぞれの権門によって政治イデオロギーとして主張されるようになった。(3)王権との関わりで民衆にもある程度浸透したことなどが、明らかになった。
一方、次のことも明らかにした。即ち、古代において対外に自国の存在をアピールするために、「神」のみに依拠し肯定的に構築された神国意識は、中国・朝鮮との国交関係が途絶え、対外宣伝する必要がなくなった平安後期、道長が新たな王権を創出する際に取り入れた仏教要素の影響を強く受け、「仏」の要素を取り入れるようになった。このことにより、神国思想は中世の神仏習合的な「神国」への展開を開始し、それに古代に創出された肯定的自国意識の神国思想は、仏教思想に基づく否定的自国意識の末法辺土思想と結びつけ論じられ、自信を無くしたところから再出発することになる。蒙古襲来前までの、神仏習合的「神国」における「神」と「仏」の力関係は、まだ「仏」に上位を譲るものである。その上に優越的自国意識の「神国」は末法辺土思想と対峙する際に、幾分自信を取り戻したとはいえ、その内容はいまだに日本を聖化することにより日本の価値を高めるという展開に止まっている。つまり、肯定的自国意識である神国思想はまだ名実ともに成立していないことも、明らかになったのである。
第三章では、先行研究の問題点を踏まえた上で、蒙古襲来前までに広範囲に浸透したものの、いまだ肯定優越的自国意識として成立していない神国思想が、蒙古襲来を契機に昂揚される実態、及びその勝利をきっかけに大きく変化・展開し、名実ともに肯定優越的自国意識として成立していった過程を究明した。
蒙古襲来において、公家・幕府・寺社の異国降伏祈祷により、それまで浸透していた神国意識が国家安全不可侵の保障として想起され、高揚されたのみならず、中国に対抗する自国意識としても認識され、しかも外交文書を通して中国(元)に対し主張されるようになった。ただし、初めて現実的国際交渉の舞台に登場する「神国」は、それまで神国思想がまだ名実ともに肯定優越的自国意識として成立していないので、中国に対し対等の立場を主張できなかったのである。しかし、蒙古襲来まで優越的自国意識の成立に到達していなかった「神国」自国意識は、蒙古襲来における勝利を契機に大きく展開した。まず、蒙古襲来後に「神」に対する自信が高まり、反本地垂迹説が出現し、神仏習合的「神国」において「神」は上位を獲得した。それに基づき、肯定優越的「神国」自国意識は自信を取り戻し、その内容は蒙古襲来以前の、日本を聖化することによりその価値を高める構成から、天竺・震旦の価値を逆転し、それらに対抗できるまでの展開に至った。神国意識は肯定的自国意識として展開していく一方で、異国降伏祈祷や寺社により再編された寺社縁などを通して、民衆の中にさらに浸透していった。一般民衆の中に神国意識が定着したことにより、「神国」の言説は社会性を獲得し、神国思想として成立し得たのである。以上のように社会性を得、他国に対抗できる「神国」自国意識の展開に立脚する『神皇正統記』の神国論は、名実ともに優越肯定的自国意識だけでなく、明確な定義を施されたものであるため、この神国論を以って中世における神国思想の成立だと考える。その上に、『神皇正統記』に見られる「神国」の真意は、決して他国に対し絶対的優越感を強調するものではなく、他国と異なる日本の特殊性を主張するものであると言える。
第四章では、ほとんどの先行研究に看過された、室町期の日明通交という契機により再びクローズアップされ、中国(明)との交渉に利用された「神国」思想の実態を解明するのみならず、蒙古襲来後に神国思想が肯定優越的自国意識として成立したことは、明国に対し主張される「神国」に如何なる影響を及ぼしたかについても考えてみた。
日明通交において、対外思想として中国(明)に主張された「神国」は、対中善隣友好外交の思想的拠り所として表明されたものである。「神国」が対中対等立場を堅持する論理根拠として主張された事実は、神国思想があたかも侵略思想かのようなイメージを払拭し、また神国思想全体の展開、特に豊臣政権期に排他・侵略的行為に迎合し、排外・侵略的思想と結びつくまでの展開の解明に寄与するものである。その上に、室町期の日明通交において、「神国」の論理を以って対中対等の立場を主張できるようになったのは、蒙古襲来後において、神国思想は肯定的自国意識として成立したからこそできることである。この点は神国思想の展開を考える上に重要であるが、従来の研究は全く看過したのである。
第五章では、外交文書に現れた「神国」に焦点を当て、従来の研究では明らかにならなかった、さらなる展開を遂げ、初めて排他・侵略的思想と結びつく豊臣政権期の「神国」思想の実態解明を試みた。その結果、現実的国際交渉の場において、外交文書を通してキリシタン国と中国(明)に主張された豊臣政権の「神国」思想は、蒙古襲来以来の外国からの脅威や対中国との関係に、「神国」の論理を持ち出すという慣例を踏襲したものである。しかし、蒙古襲来期・室町期において、「神国」はいまだに国家の安全不可侵の根拠、対中対等善隣外交の拠り所として主張されたものであるのに対し、豊臣政権における「神国」は、政権の意向に迎合し、排他的・侵略的行為を正当化する理由として主張されるものであった。その上に担わされた役割の変化により、豊臣政権の「神国」の内容は、室町期までの国際交渉には見当たらない、他国に対する自国の優越を強調する自国中心的世界観へと展開した。また、展開した豊臣政権の「神国」の内容の特色は、室町期までの「神孫為君・神明擁護・神祇崇拝」の三点に集約できる域を超えたのである。さらに、豊臣政権における「神国」の変化・展開は、主に豊臣政権の対キリシタン政策や対東アジア政策の変化によるものである。その他に、豊臣政権における新たな「神国」思想の創出は、外交文書の作成者である禅僧の果した役割が大きい、ということなどが明らかになった。
第六章では、朝鮮問題と関わる「神国」の考察を通して、次の三点を論証した。(1)先行研究の残した問題、即ち三国世界観における優越意識の神国思想と朝鮮問題との関連性が不明であるという問題の解決、(2)古代から豊臣政権期に至るまでの神国思想全体の展開の跡付け、(3)神国思想の有する特質の検討。
朝鮮問題に関する神国意識の変化・展開は、基本的に神国思想全体の変化・展開と軌を一にするものである。つまり、神国思想が自国優越意識として、まだ名実ともに成立していない古代や院政期においては、朝鮮問題と関わる神国論は、主に「神明擁護」や「神祇崇拝」を主張するためのものであり、決して三国世界観と結びついて説かれたことはない。そして蒙古襲来の勝利を経て、神国思想が三国世界観における優越的自国意識として成立していく途中で、天竺・震旦と対峙するために、朝鮮を従えるべきであるという内容を有する神国論が出現した。またこのように朝鮮が日本に服属すべきであるという内容を有し、それを強調する神国論は、豊臣政権の朝鮮出兵において、武士達の侵略行為を正当化する役割を担わされたのである。次に、朝鮮問題と関わる神国論の特質は、その内容がほとんど神功皇后伝を経由するという点である。この特質は『日本書紀』に見られる初例の「神国」の及ぼした影響であると考えられる。さらに、室町期と豊臣政権期の日朝外交交渉の場において、朝鮮が日本に従属すべきだということを裏付ける根拠として、「神国」が利用される事実がなかったことにより、神国思想は東アジア世界秩序において、自分より上位にある国に対抗する論理であるという特質を有することが明らかになった。
第七章の総論においては、全体を通しての論点をまとめ、今後の課題を提示した。
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