授業・調査の様子
上杉和央「歴史と地理の交差点」(「教員奮闘記」『府大広報』164、2010.7発行)
私の専門分野は「歴史地理学」です。誰もが知っている「歴史」と「地理」ですが、両者が併記される「歴史地理学」
となると、あまり馴染みがないと思います。ただ、たとえば「710年に平城京ができた」とった理解には、710年という時
間(歴史)と、平城京という場所(地理)が関わっていますよね。このように、あらゆる歴史的な出来事には場所が関わ
ります。逆に、現在あるすべての場所には歴史的な変遷が伴っているとも言えます。歴史地理学とは、このような「歴史
と地理の交差点」に注目していく学問です。
研究では、文献史料や古地図、発掘成果などを活用して調査を進めていきますが、とくに重要なのは現地調査です。地
域の景観の中には、過去の痕跡を示すたくさんの資料(地域遺産)が眠っています。路傍にたたずむ地蔵や石碑、田んぼ
の形はもちろんのこと、ちょっとした土地の高低差なども、ときには重要な証言者となります。そんな時、私は「歴史地
理」の探偵になるのです。
景観から何を読み取るか。そこには、独特の作法があり、訓練が必要となります。そのため、学部生や大学院生と一緒
に、京都市内をはじめ、熊野古道や沖縄など、さまざまな場所へ調査に出かけています。時には8時間以上歩き続ける苦行
になることもありますが、その分、得られる成果も大きく、足の痛みとともに現地調査の重要性を再確認する機会となり
ます。
面白いことに、景観調査の作法を身に付けた後であっても、同じ場所から持ち帰る内容は、学生それぞれで異なります。
人それぞれが持つ個性が反映されるためですが、そこを強制的に統一するようなことはしません。むしろその個性を伸ば
すように助言します。各地の景観がその土地の歴史に沿って多様であるように、調査者自身のセンスも多様であってよい
はずです。そのような多様性を認めつつ、異同を考えていくこと。これが地域や景観に対する、そしてその地域をまなざ
す人々に対する、歴史地理学的研究の基本姿勢だと考えています。
2010年熊野調査
平成20年度に始まった大学の改組にともない、文学部歴史学科に文化遺産コースが置かれることとなった。歴史学の応 用部門として、歴史的な遺産を実地に研究することを主たる目的としており、歴史学、地理学、考古学、文化情報学の各 専門分野の教員によって構成されている。 その研究の手始めとして、宇治市歴史資料館と連携したACTR「南山城・宇治地域を中心とする歴史遺産・文化的景観の 研究」を平成20年度に実施し、その成果を『京都府立大学文化遺産叢書』第1冊として刊行した。市民向けには平成21年 6月27日に「宇治の文化遺産・景観から歴史へ」というタイトルでシンポジウムを宇治市でおこない、多くの市民の皆さ んに成果を伝えることができた。具体的には茶園についての歴史地理学的な研究成果、文化的景観としての宇治の街並み、 近世石燈籠の調査成果とそれにもとづく宇治の名物研究、さらに平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩を材料とする音楽遺産の研 究である。身近な文化遺産を歴史の流れの中に位置づけ、市民と地域の歴史との対話を促す契機になったのではないかと 思う。なお本年度は、宇治市民大学運営スタッフ会と本学歴史学科との連携事業として、「古代の南山城」をテーマに連 続講義を宇治市で実施中である。 平成21年度からは八幡市を中心にACTR「地域文化遺産を活用するための調査・記録・情報化の研究−八幡市域を中心と した文化情報学研究の確立−」を実施しており、本年度も継続中である。昨年度は市内から発見された古文書の調査、神 社の石造物や大坂街道の景観の調査などをおこなった。これらはいずれも学生、院生とともに実施しており、 地域の現状を知る上でも貴重な機会となった。 その成果は『京都府立大学文化遺産叢書』第3冊として刊行した。2年目の今年度は、引き続き各調査を続けているが、 地域の方へ成果を報告する機会を積極的に設けている。7月には八幡市の念仏寺で文書調査の方法について院生とともに報 告し、9月には八幡の歴史を研究している会で絵図の読み方を中心にお話しした。それぞれ40人ほどの集まりであったが、 参加者の地域への熱い思いが伝わる会であった。今後も地域のために、調査、成果報告ともに進めていきたいと考えている。