授業・調査の様子13 文化遺産デザイン研修9

 AR動画作成の軌跡(2014.11 歴史学科 文化遺産デザイン研修)


はじめに

 文化遺産デザイン研修では、文化遺産をいかに世間へと発信していくことができるか、ということを
考えて活動をしている。今年は、岡崎魅力づくり推進協議会と株式会社双林印刷社と協同で岡崎観光パ
ンフレットである「岡崎どこいこ トコ♪トコ♪街図(ガイド)」に掲載するARを作成した。そのうち
私たちは、動画の作成を担当した。私たちは4つの班にわかれ、それぞれ「ハレの場・岡崎」、「岡崎
の産業遺産」、「始まりの場所・岡崎」、「京都市民憩いの場・岡崎」というテーマで動画を作成した。
以下では、各班の動画制作の経緯を述べていく。


1、ハレの場・岡崎 ハレの場AR班では、岡崎の地が明治から現在にかけて、祝祭空間として発展・貢献してきた歴史を知っ てもらうことを目的に動画を作成した。内容としては、岡崎で最初に行われた博覧会である明治28年 (1895)の第四回内国勧業博覧会をはじめ、各時代の博覧会や現在のイベントを紹介することで、「ハ レの場岡崎」を表現した。以下では、ハレの場のARが完成するまでの約半年間、どのように製作に取り 組んできたかを述べる。  動画の製作に本格的に取り組み始めたのは4月頃である。まず、使いたい資料やナレーション、字幕など を考え、絵コンテを作成した(写真1)。また、この動画で何を伝えたいのかというコンセプトも用意し、 絵コンテとともにミーティングで発表した。次に、ミーティングで出た意見を踏まえ、AR動画を作成し ていった。当初、明治28年から現代まで順を追って紹介するものと、現代から過去へ遡る2つのバージョ ンを作成した。ミーティングで話し合った結果、過去から現代へという流れの方が分かりやすいという 意見がでたので、明治始まりのものに決まった。その後は具体的にどのような資料を使うか、ナレーシ ョンや字幕はどうするかを検討しながら作業を進めていった。








写真1 絵コンテ(2014年4月野辺地亜来作成) 

 博覧会関係や現在のイベント等の資料は豊富に存在したので、30秒程度の短い時間の中でなるべく多くの 資料を見せたいと考えた。そのため、試作初期は速いテンポで次々と写真を表示していたが、「速すぎる と何の写真なのか分からない」といった意見もあり、最終的には枚数を減らして、1枚1枚をゆっくりと見 せるものへと作り変えた。また、時代の変わり目ごとに、「明治28年」「大正4年」「昭和3年」「現代」 などの字幕を入れていたが、ナレーションで補えるという声が上がり、詳しい年代は表記せず音声に頼る ことにした。そして、白黒の古写真ばかりだとどれも同じような写真に見えてしまうため、なるべくカラ ーの資料を用いるなど、全体の色合いにも気を付けるようにした。それに加え、単調にならないように所々 をズームにするなど動きをつけることも意識した。6月頃には動画に使用している画像リストを作り、どこ が所蔵している資料なのか、版権の整理をおこなった。その後、字幕の書体や最後のクレジット表記、ナ レーションの音量を他の3つの動画と統一し、仕上げた。  苦労した点は、ナレーションをつける作業である。ハレの場は4つの動画の中で唯一ナレーションをつけた。 原稿作りをはじめ、ボイスレコーダーに声を吹き込む等、慣れない作業に戸惑いながらも編集していった。 字幕とナレーションのタイミングを合わせるのは非常に難しく、違和感が無くなるまで何度も何度も秒単 位の調整を重ねた。  以上のような過程を経て、8月末にARを載せたパンフレットが発行された。AR製作を進めるなかで、班内だ けでなく他班ともこまめに情報を共有し、それぞれの試作を見せ合っては意見を出し合うようにした。そし てその都度修正を繰り返し、ようやく完成させることができた(写真2)。初期に作ったものとは随分と変 化したが、試行錯誤を重ねた結果、より良いものが出来上がったと思っている。 (文責:野辺地亜来・松尾春那)








写真2 動画最終完成形(2014年11月野辺地亜来作成) 


2、岡崎の産業遺産  はじめは、世界とつながっていた岡崎を再発見することをコンセプトに、国際交流を意識して、岡崎を見る ことができるような動画を考えていた。岡崎は日本という枠組みだけではなく、世界という枠組みで捉える ことができる場とし、それをメッセージとして伝えられるよう心がけていた。それは、平安時代には当時の 東アジアで使用されたと思われる技術を用いた法勝寺八角九重塔が建立され、近代には西洋技術を用いた水 力発電が始まり、第四回内国勧業博覧会などの博覧会では、日本初の七宝焼が輸出されるなど、世界との文 化的な交流があったと考えていたためである。そのため、当初の案では法勝寺九重塔や博覧会関連のものを 取り上げた上で、絵コンテや紹介文を作り、一度動画を作成した。他の班と出来上がったものを批評し合っ た際、各動画において取り上げていたものが似通い、差別化ができていなかったことがわかった。そこで、 この班では岡崎の発展を支えていた産業・技術を取り上げるに至った。  明治期、岡崎で再び見られた発展の基盤となったのが水力発電である。そのため、動画では水力発電をテ ーマに、琵琶湖疏水やその導入により実現された路面電車を取り上げている。 今回のARはまちあるきを前提としていることから、岡崎にある産業遺産に関するスポットをめぐるルートを 踏まえて作成するよう心掛けた。そのため、実際に訪れることができる場所を可能な限り取り上げる工夫を した。それにあたり、5月上旬に一度フィールドワークをおこなった。琵琶湖疏水を中心に、琵琶湖疏記水 念館や第二期蹴上発電所などをめぐり、同時に動画で用いる写真を撮影した(写真3〜5)。再度各スポット の特徴を確認した上で、動画作成に入った。




写真3 夷川発電所(2014年5月8日岡田幸子撮影)






写真4 琵琶湖疏水記念館(2014年4月28日井上真美撮影)






写真5 広道橋からみた琵琶湖疏水(2014年5月8日岡田幸子撮影)

 まず、見る人が短時間で理解できることを目標とした。動画の制限時間は1分以内である。岡崎について予 備知識を持っていない人に対しても、テーマである岡崎の産業遺産やその特徴を伝えたい。また、ある程度 知っている人にも「おっ」と思ってもらえるものを作りたい。そこでストーリー性を意識した。琵琶湖疏水 を中心とする産業遺産を紹介するのだが、場所の羅列で終わってしまってはならない。取り上げるメインテ ーマは水力発電である。水力発電は京都の近代化に大きく貢献し、現在も稼働中である。これを軸にストー リーを組み立て、水力発電のおかげで実現できたものを動画の導入として持ってくることにした。多方面か ら検討した結果、かつて岡崎を走っていた路面電車を取り上げることに決めた。蹴上駅近くには当時の架線 柱跡があり、平安神宮内には路面電車の実物展示がある。過去と現在をつなげ、岡崎の魅力発信とまちある き促進に役立つことを考え、現存しているこれらのものを活用することにした。  導入部分は平安神宮の大鳥居から始めた。それは、岡崎の話であることを見る人に意識付けしたかったから である。そしてその南側の道路にある、かつて路面電車が走行していた仁王門通を写す。動画の撮影はトラ ックの走行や観光バスの停車などに悩まされながらも、できるだけ良いものを撮影すべく、数秒のために1時 間以上、何回も撮影をおこなった。次に路面電車の写真の写し方であるが、ただ写真を写すだけでは面白く ない。そこで、道路の向こうから路面電車が走ってくるように写し出すことにした。併せて現在の仁王門通 から路面電車の古写真を写し出すことで、現在から過去への小さなタイムスリップをするという見せ方をし た。そのほかの写真も、綺麗さや見やすさなどを意識して選定した。現代の写真は、ほぼ作者が撮影したも のを使用した。  画面を見せる時間にも気をつけた。展開が速すぎるとうまく伝わらない可能性があるが、遅すぎると単調に なる。字幕の量や写真を見る時間を考慮して秒数を定めた。見る人にとって、何秒がベストであるのかを見 極めるために0.5〜1秒単位の調整をおこなった。動画は、連携先との打ち合わせでの改善点を踏まえて何度 も作り直した。また、当時の様子がよりよくわかる写真が入手できると、そのたびに差し替えもした。この 産業遺産ARができるまで4か月以上を要した。最高のものを届けたいという気持ちを常に持って作成に臨んだ。 疏水は現在も活躍しており、ゆかりのものは産業遺産として評価されている。それらの魅力が伝わるように 作り上げた。 (文責:井上真美・岡田幸子)
3、始まりの場所・岡崎  この班では、岡崎は中世と近代のはじまりの場所であると考え、それをテーマに動画を作成した。なぜなら 岡崎は、平安時代後期に貴族の別荘地となり、白河天皇によって法勝寺が建立されたことで政治の中心地とな った。また、明治時代以降農村となっていたが、琵琶湖疏水の設置や第四回内国勧業博覧会、平安遷都千百年 紀念祭が催されるなど、京都の近代化の中心となったからである。  まず、キャッチーな言葉と登場人物、中世と近代を対比させたストーリーがあれば動画がわかりやすくなる と考えた。そこで第1案では、中世は白河天皇、近代は田邊朔朗を中心人物にした。そして、白河天王が法勝 寺を建立した年齢と、田邊朔朗が琵琶湖疏水を設計したときの年齢がともに20代であることから、「若さ」を 強調した。また、「若き天皇、白河天皇が作り上げた理想の都」と「若き青年技師、田邊朔朗が目指した街」 というキャッチコピーも考えた。しかし、白河天皇は当時20代だったことは史料でわかっているが、平均寿命 が短い当時の20代は若いのかという問題があった。また年齢の数え方も現在とは異なるため、現在の感覚で若 いといえるのか疑問もでた。田邊朔朗も、彼一人が京都の近代化に尽力したというよりも、北垣国道や数多く の人々の力で達成されたものであるという問題があった。そしてなによりも、白河天皇の肖像画がないため動 画に入れることができなかった。  「はじまり」と題するからには、何が終わって何が始まったのかがわかりやすい必要があるという意見がで た。そこで第2案では、中世に関しては、貴族中心の社会から院政がはじまり、武士の台頭によって貴族社会が 終わる。そして近代に関しては、農村であった岡崎が琵琶湖疏水や数々の博覧会を通じて都市化してゆくとい うストーリーを考えた。しかし、史料自体が少ない中世は、貴族の生活や武士の台頭を表現する適切な画像が 見つからなかった。また、画像が少ないために動画に動きもなくなってしまった。そして、中世の内容と近代 の内容があまりに時代が離れているためにつながらないという問題もあった。そこで、動きが少ないという点 に関しては、双林印刷社の方に京都市平安創生館(京都市生涯学習総合センター、京都アスニー)の平安京復 元模型の法勝寺八角九重の画像を2.5Dで作成してもらい、トリガーとなる画像にスマートフォンをかざすと、 動画が再生される前に塔が出てくるようにした(写真6)。








写真6 画像から出てくる八角九重塔(2014年11月11日平野友梨撮影)

 第3案では、動画の最初に法勝寺八角九重塔を用い、最後にかつて塔が建っていた場所にある京都市動物園の 観覧車を流すことで場所のつながりを表現しようと考えた。中世は史料が少ないために画像が少なくなる上、 動画に動きがなくなってしまうという問題があったので、画像を順番に流すのではなく、撮影した動画を用い た。具体的には京都市平安創生館(京都市生涯学習総合センター、京都アスニー)の平安京復元模型と、京都 市動物園の観覧車を撮影した(写真7)。そして、平安京から法勝寺、明治時代に入ると農村だった岡崎が疏水 の建設や博覧会によって近代化してゆき、最後は動物園の観覧車のアップで終わるという動画が完成した。








写真7 京都アスニ―での撮影(2014年6月11日上杉和央撮影)

 動画再生後のホームページの内容も考えた。従来のホームページでは、法勝寺の説明はあるが、その他の六勝 寺の解説はなかった。そこで、現在岡崎に建てられている六勝寺の碑や看板をとりあげ、従来の内容にも解説を 加えて新たなコースを完成させた。 (文責:岡田英子・平野友梨)
4、京都市民憩いの場・岡崎  まず、私たちの班の名称はあくまで「娯楽遊興班」である。しかし実際に完成したARは、「市民憩いの場」と いう点に重点が置かれている。これには完成に至るまでの紆余曲折があった。  当初の計画では、岡崎地区に存在した、もしくは現存している娯楽施設やイベントなどを取り上げて紹介する 予定であった。しかし、娯楽施設というくくりではかなり幅広いものになってしまい、収拾がつかなくなってし まう。またイベントを取り上げるという点においては、かつて岡崎で開催された各種の博覧会や、現在も開催さ れる様々なイベントを取り上げようとした。しかし、そのラインナップでは岡崎が今も昔も京都市の祝祭空間で あることを紹介する、「ハレの場」班の動画の内容と重なってしまう。発足当初からコンセプトについて、娯楽 遊興班のアイデンティティについての問題に直面してしまった。  4月のミーティングで、私たちは先に挙げたアイデンティティの問題について、岡崎魅力づくり推進協議会の 藤井さんに意見をもらった。そして、この会議で出た結論は、「京都市民が日ごろから集う岡崎」を紹介してい くことだった。このコンセプトなら、他の班とも重ならない。さらに、このARのユーザーとなるであろう京都の 外から来た人々に、日ごろの岡崎がどのような場所であるかを紹介することができる。このような目的意識を持 ってようやく、我々の班のコンセプトが完成した。  続いて、紹介するスポットの選定である。岡崎地区にある、もしくはあった京都市民向けのスポットを次のよ うに抽出した。 岡崎グラウンド・京都市美術館・京都府立図書館・京都市動物園・琵琶湖疏水沿い散策路・京都アリーナ(現存 せず)・京都パラダイス(現存せず)・白川児童プール(現存せず) これらは今昔を問わず、市民が気軽に訪れることができるスポットである、という条件で抽出された。しかし、 数が多すぎる、もっと気軽に訪れることができる場所を、という要請によりさらなる選定がおこなわれた。また 同時に、動画を作る作業も始まった。  5月に入ると各班とも動画の初稿が完成した。私たちの班の動画は岡崎の地図を示した上で、各スポットの画像 と簡単な説明を紹介していく、というものであった。この時点で紹介するスポットは、岡崎グラウンド・京都府 立図書館・京都市動物園・京都パラダイス・白川児童プールに絞られた。他班や藤井さんとの検討の中で、以上 のスポットの中から京都パラダイスが資料不足故に脱落し、紹介するスポットが確定した。動画自体については、 見せ方に問題あり、との指摘を受けた。つまり単調に画像を切り替えたり、過剰にエフェクトを加えるのではな く、適度な効果をつけた見やすい動画を作るようにとの内容であった。この問題はとても難儀したものであった。 これまでに動画の作成はほとんどおこなったことはなかったからである。しかし、協力して内容がわかりやすく、 見ていて飽きない動画を作成した。また、動画内で使う地図は当初、グーグルマップを切り貼りしたものを使っ ていた。しかし、「岡崎どこいこ トコ♪トコ♪街図(ガイド)」の地図を転用できることになったのでそちらへ と切り替えた。この地図は動画作成と並行して作られており、バージョンアップされるたびに私たちの下へと最 新版が送られてきた。次第に内容が変わり、体裁を整えていく地図を見るのもまた一興であった。そして、地図 のバージョンアップに伴う幾度かの改訂を経て、私たちの動画、「京都市民憩いの場」が8月に完成した。 (文責:田島靖大・田原久美子)
おわりに  魅力づくり推進協議会や株式会社双林印刷社とのミーティングを重ねていくことで、当初とは変わった部分も 多いが、良い動画を完成させることができた。苦労した面もあるが、岡崎で観光パンフレットを持ち歩く人を見 ると、その分一段と達成感に満ち溢れている。2014年3月までという本来の期間を越えての活動となったが、京都 府立大学にとどまらず他の団体と共同して文化遺産を発信していく、その過程に携わることができた。この体験 は今後の私たちの人生において、計り知れない財産になるであろう。 【謝辞】 様々なアドバイスをくださった岡崎魅力づくり推進協議会の藤井容子様、ARの技術的アドバイスをおこなっていた だいた株式会社双林印刷社の河瀬顕吾様、迫修豊様、高橋龍之様、そして調査に協力していただいた皆様のおかげ で動画を完成させることができました。末尾となりましたが、心より御礼申し上げます。