ゲノムが運動しているって


私たちのグループでは、生物が地球上の環境にあわせてゲノムや遺伝子を多様化させてきた原理に興味を持っています。どうしてゲノムは変化できたのでしょう? どうしてゲノムは新しい遺伝子を作り出せたのでしょう? 一体どういう研究をしたら、この生命の謎が解けるのでしょう?


植物細胞の中にある葉緑体は、大昔は独立生活をする光合成細菌だった、って知ってましたか? そうです、細胞内共生進化、というやつです。植物の葉緑体というと、光合成をはじめとした植物生理学の研究対象と思われがちですが、実は、地球上の生命の謎を解くための重要なヒントが隠されています。「光を食べる生き物たち」がどうやって出現し、進化し、繁栄したのかを、ゲノムの仕掛けからみてやろう、というわけです。 因みに、「光を食べる」と言えば、ウミウシ(貝殻のない貝の仲間)には、海藻から葉緑体だけを取りこんで、ちゃっかり光合成をする連中がいるって、知ってましたか?  今年はめでたくウミウシの研究調査費用が採択されたので、光合成ウミウシ探検隊を(まず近場の海に)派遣するぞ!


閑話休題。


私たちはゲノムの運動原理を探るために、現在、「葉緑体から核への遺伝子移動」と「葉緑体RNAエディティング」という二つの現象に、研究の焦点を合わせています。

植物のオルガネラ間相互作用に対する新しい視点


葉緑体が発達するためには、核にコードされている葉緑体成分遺伝子の発現が必要です。そして、この核遺伝子群が発現するためには、葉緑体から核へ伝えられる「葉緑体シグナル」が必要であることが、様々な間接証拠から明らかにされています。当研究室では、単細胞緑藻のクラミドモナスを材料にして、光合成電子伝達鎖から発信される新しいタイプの「葉緑体シグナル」を見つけだしました。さらに、葉緑体の形成には、従来から知られている「葉緑体シグナル」だけではなく、新たに、ミトコンドリアの呼吸鎖から発信される「ミトコンドリアシグナル」が必要であることを明らかにしました。この発見は、これまで「核—葉緑体」間の問題として捉えられていた「葉緑体形成の制御」が、実は「ミトコンドリア—核—葉緑体」にまたがるオルガネラ間相互作用の上に成り立っていることを示しています。これは、植物のオルガネラ間相互作用に対する新しい視点です。

mRNAの翻訳効率を制御する技術の開発 - SESTRE法


プロモーターの起源と同様に、mRNA上の翻訳制御配列の起源も、ゲノムの進化メカニズムを考える上で興味深い問題です。当研究室では、ランダムヌクレオチド配列を用いた in vitro 進化の手法を応用して、所与の翻訳系(タンパク質合成系、細胞等)の中でmRNA上の翻訳制御モチーフを人為的に出現・進化させる実験技術を開発し、SESTRE (systematic enrichment of the sequences that alter translational efficiency) 法と名付けました。この技術は、(株)コンポン研究所と(株)トヨタ自動車との共同で、2001年に日米で特許出願を行い、2003年に米国特許を取得しました(US Patent No.:6558909)。この実験技術は、(1)有用遺伝子の翻訳効率を向上させる、(2)有用遺伝子の発現を翻訳レベルで制御する、(3)翻訳制御シス配列の起源や進化を実験的に解明する、(4)5’キャップが無くても高い翻訳活性をもつmRNAを作成する、といった様々な用途への応用が考えられます。



ゲノムDNAには流れがある


   葉緑体は核とは異なる独自のゲノムDNAを持っています。葉緑体は細胞内に共生した光合成細菌が進化して出来たオルガネラであり、その進化の過程で、葉緑体ゲノムにあった多くの光合成遺伝子は核ゲノムに移っています。このような細胞内でのゲノム間遺伝子移動が生じる仕組みを、①葉緑体ゲノムから核ゲノムへのDNA転移、②核へ転移した葉緑体遺伝子が新しいプロモーターを獲得するメカニズム、③核ゲノムにある光合成遺伝子群の転写制御メカニズム、の3点から解析しています。また、こうして得られた知見を基に、この過程全体を解明するために必要な作業仮説と理論的枠組についても研究を進めています。

 最近、世界中の研究者の協力によって、イネのゲノム塩基配列が決まりました。私たちはそのゲノム情報を丹念に解析した結果、核ゲノムは、「葉緑体DNAを頻繁に取り込み、核DNAと混ぜ合わせた後、数十万年の半減期で核外に排出している」ことを見出しました。つまり、核とオルガネラのゲノムはそれぞれ孤立した存在ではなく、それらは連続的的なDNAの流れでつながっている、ということです。真核生物のゲノムというのは、実はかなり流動的な性質をもった実体なのだ、と考えることが出来そうです。



ゲノムの運動原理と遺伝子操作の安全性


さて、「ゲノムの中で新しいプロモーターが生成する」という知見は、実は私達にとって、「ゲノムや生物の進化を理解すること」以上の大きな意味を持っています。というのは、人為的にゲノムを攪乱・シャフリングさせた場合、ある頻度で、予期しないタンパク質遺伝子が出現・発現してくる可能性がある、ということを示唆しているからです。この現象 は、遺伝子操作技術の安全性をどう考えるか、という問題と深く関わっており、さらに、ポストゲノムのトピックの一つである「ゲノム中でのnon- coding RNAの潜在的機能」という問題にも密接に関係しています。

   私達は、この「プロモーター出現の分子機構」について、形質転換植物やin vitro転写系などを用いた実験的研究を進めています



ゲノム情報の揺らぎとRNAエディティング


植物オルガネラのゲノムでは、進化の過程で誤って変異した塩基配列を、いったん転写してからRNAの上で修復する「RNAエディティング」という特異な現象がみられます。タバコの葉緑体ゲノムには30余カ所のRNAエディティング部位があり、それぞれが特異的な蛋白質によって認識されます(図)。しかし、エディティング反応の標的となる塩基を識別する機構には未知の部分が多く、この反応の実体や起源・進化は謎に包まれています。私たちは、高等植物からエディティングをおこなう蛋白質因子を粗精製することに成功し、その同定まであと一歩に迫っています。ゲノムやトランスクリプトームのもつ可塑性や多様性の起源を理解する上で、RNAエディティングの分子メカニズムや進化は恰好のモデルになると考えています。


ゲノムが新しい遺伝子を生み出せたのは何故だろう?


上述のように頻繁に核に流入した葉緑体遺伝子が、新たにプロモーターを獲得して発現するケースはどのくらいあるのでしょう? この問題を検討するために、私達は、プロモーターを持たないタンパク質遺伝子を植物の核ゲノムにランダム挿入し、プロモーターの獲得がどのような頻度とメカニズムで生じるのかを、包括的に解析しています。その結果、興味深い事に、植物の核ゲノムでは、かなり高い頻度で「プロモーターの生成」が生じることがわかってきました。

 ゲノムの中にいくら新しいタンパク質遺伝子が出現しても、それらを発現させるプロモーターがなくては、ゲノムはその「遺伝子」の機能を試してみることができません。我々はこの「新規プロモーターの出現メカニズム」こそ、ゲノムや遺伝子の進化を可能にした重要な鍵だと考えています。

 このような一連の研究を通じて、我々は、「核では、ゲノムDNAのシャフリングにともなって、無駄な萌芽遺伝子が恒常的に作られては捨てられているのではないか」という、ゲノム進化のメカニズムに関する新しい作業仮説を提案しています。