私たち洛北史学会は、会誌『洛北史学』を刊行することとした。当面は年報とする予定である。
洛北史学会は、京都府立大学の文学部史学科専任教員と大学院文学研究科史学専攻に在籍すること大学院生とを中核に、名誉教授や同窓生などの参加をえて組織された。同窓会ではない。全国的な視野と水準とをもって活動することをめざす学会組織である。とはいえ、私たちの基盤は京都府立大学文学部史学科にある。ここで積み重ねられてきた学問的な営みを受けつぎ発展させることを企図している。京都府立大学のある京都・洛北の地から歴史学界に新たなる一石を投じようという意気込みで、洛北史学会と命名された。
京都府立大学文学部史学科は、一九四九年に発足した京都府立の西京大学文家政学部文芸学科の歴史学講座と芸術学・芸術史学講座とから出発した。以降、一九七〇年に京都府立大学文学部の文学科文化史学専攻となり、一九八五年に文学科から分離・独立して史学科となった。そして一九九二年に大学院文学研究科史学専攻修士課程を開設し、今日にいたっている。
この間に、史学科は日本史学・日本文化史学・日本歴史考古学・東洋史学・西洋史学の五講座を有する教育研究組織に成長した。そして大学院史学専攻の開設を契機に、一九九四年一一月、洛北史学研究会の活動が始まった。それは大学院生と教員とが共同して学問的な研鑽の場をつくりあげることをめざした。この研究会活動のなかから洛北史学会は生まれた。
現在、史学科は考古学を含めた原始・古代から近現代に至る日本史を中軸に、中国史を柱とするアジア史と、イギリス・ドイツを主としたヨーロッパ史の研究・教育に取りくんでいる。史学科の歩みのなかに貫かれてきたのは、日本史を中軸に京都という歴史的遺産に恵まれた地域の特性に根ざした研究・教育に取りくむことと、歴史を常に世界史的な視野から考察するという姿勢とであった。
史学科は、京都府域の歴史研究に一つの重点をおき、共同研究に取りくむ努力を続けてきた。それは京都府が設置する公立大学として、地域住民の生活と文化の向上に寄与することを重要な設置目的としているという、創立以来の基本理念の自覚に基づいている。この歩みのなかで私たちは既にいくつか具体的な成果を発表してきたが、最新の一つが本誌創刊号の特集「東寺百合文書と東寺」に反映されている。この特集テーマは、京都府が社会人を対象に企画した一九九七年度のリカレント講座の一つとして、日本史分野の教員が中心となって開催した連続講座「東寺と其の周辺――東寺百合文書を中心に――」に出発している。この講座に続いて、一九九八年五月に洛北史学会は独自に同様のテーマでシンポジウムを開催し、それぞれの報告について学問的な検討を深めた。それらをふまえてこの特集は生まれた。
史学科は、学生が学習をすすめていくうえで、各自の関心のままに早い時期から個々の講座に分属し専門化していくことを意図的に避け、最終的な専攻分野は卒業論文作成時にきめるという方針をとってきた。学習者各自がどの地域の何時の時代の人々の歴史的な営みの如何なる側面を研究対象とするにせよ、それを広く人類史の歩みのなかに位置づけて考察する意欲と能力を培うことを重視したからである。これは教育の基本方針であるとともに、研究の基本姿勢でもあった。
この研究姿勢は、外国史分野の教員を中核に文部省科学研究費補助金を受けた共同研究『帝国システムの比較史的研究』(一九九八年刊)にその一端を結実させた。これは、近代世界では普遍的と考えられてきた国民国家が、現代世界ではさまざまな意味あいで相対化を迫られているという現実をふまえて、あらためて世界史上の多様な政治的統合のあり方を解明しようとしている。ここでは、国家の現代的意味を問いなおすことが目ざされているとともに、日本の歴史の解明にも大きな示唆を与えている。
この間、在職・在学された多くの先輩諸氏の営みを受けつぎ持続してきた私たちの歴史研究の基本姿勢は、実事救是の精神と変化・発展への感覚とであった。
今日、激動する世界と社会の加速度的な変貌、さらには大学のあり方をめぐる多様な問題提起と求められる改革の嵐の中で、歴史学自体も、その教育研究体制のあり方も再検討を迫られ、新たな方向性を見出さねばならないという課題に直面している。
だから、事実を証して真理を窮めるという原則も決して単純ではない。証されるべき事実はなにか。そもそも事実を証すこと自体が如何なる意味で可能なのか。窮められるべき真理とは何か。それら事実といい真理と称するものは、現在と未来の人類の存在にどのような意義を有すると確信をもって言い得るのか。変化や発展の感覚は持続できるのか。
私たちはこれらの問題を避けて通ることを許されてはいない。私たちは他の学問分野の方法や成果から貪欲に学びとらねばならないであろう。しかも見出すであろう解答はおそらく各人各様であろう。だが、いずれにせよ、実事救是の精神を放棄し、変化や発展に対する鋭敏な感覚を失い、歴史学固有の方法から安易に離れて他によりかかることで、課題に対する解答も歴史学の新たな活路も見出せはしないであろう。一見、頑なばかりに、歴史学研究固有の地道でかつ柔軟な営みを重ねることが、新たな飛躍を見出せる方途であると私たちは考えている。
これが『洛北史学』を創刊するにあたって、私たちが掲げる小さな旗印である。
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